掴(つか)めどもすりぬけ消ゆるみひかりは もとより我れを満たすものなり
滴塵020
本文
掴(つか)めどもすりぬけ消ゆるみひかりは もとより我れを満たすものなり
形式
#短歌
カテゴリ
#10.精神・悟り・心象
ラベル
#光 #精神 #悟り #密教
キーワード
#みひかり #精神 #悟り #宇宙 #念
要点
掴もうとすると消える光は、すでに自分を満たしている本質的な存在である。
現代語訳
掴もうとすればすり抜けて消える光。しかしその光は初めから私の内にあり、私を満たしているものなのだ。
注釈
みひかり:仏性・悟り・真理の象徴。掴めないが本来的に遍在する。
もとより我れを満たすもの:外界に求める必要はなく、最初から(探すまでもなく)内に既に備わっているものを示す。
すりぬけ消ゆる:無常や執着のはかなさを象徴。実体のないもの。
解説
この短歌は、物質的・感覚的世界への執着が無意味であることを暗示し、内在する真理や光の存在に目を向ける教えを表現している。手に取ろうとすればするほど逃げる光は、仏教的にいう「縁起」や「空」の象徴であり、心がそれを知覚することで初めて充足感が得られることを示す。自然現象の描写を通して悟りの本質を詠む、精神的比喩の短歌である。密教的「本有仏性」の視点と響き合う。
深掘り_嵯峨
滴塵001(もとより空に在りしとぞ知る)と並ぶ、「本覚思想」の核心を突く歌です。
真理(みひかり)は、外側に探し求め、掴み取ろうとする(煩悩の行為)と、すり抜けてしまいます。しかし、それは実は最初から、「もとより我れを満たして」いたものだった、という内なる真理の発見を歌っています。
「探すから見つからない」(滴塵009)という問いへの一つの答えであり、悟りとは「見つける」行為ではなく、「気づく」行為であることを示唆しています。